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量子メモリー読み書きのための光波長変換ラインナップ完成

−実用量子計算や中継通信に道−

 大阪大学は東京大学とともに、量子情報通信において不可欠な光の波長変換方式として最後まで残っていた短波長から長波長への自由な波長変換を実現しました。これにより必要な方式が出そろい、光と量子メモリー間の量子情報やりとりに道が開けました。

 国立大学法人大阪大学(平野俊夫総長)大学院基礎工学研究科 井元信之教授および国立大学法人東京大学(濱田純一総長)大学院工学系研究科 小芦雅斗教授らのグループは、量子メモリー読み書きのための波長変換技術として最後まで残っていた「可視光(短波長)から赤外光(長波長)への広帯域波長変換」に成功し、実際に量子情報注1を壊さずに波長変換されていることを実験的に実証しました。

 量子コンピューター注2や長距離量子暗号注3等の量子情報処理注4において量子メモリーが不可欠ですが、量子メモリーの読み書きには可視光が用いられるのに対し、量子光通信では赤外の通信波長帯が使われており、この波長の齟齬が大きな問題でした。これまで通信波長帯から可視光への広帯域で量子的な波長変換、可視光から通信波長帯への広帯域だが量子的でない変換、可視光から通信波長帯への量子的だが狭帯域な変換はなされて来ましたが、最後までなかなか実現されなかった「可視光から通信波長帯への広帯域かつ量子的波長変換」に成功しました。今回の研究では波長変換素子としてPPLN(周期分極反転ニオブ酸リチウム)を用いて高効率変換を達成し、注意深く低雑音化を行うことで、忠実度の高い量子的な波長変換を実現することができました。

 この成果により、量子中継注5などの量子メモリーを用いる高度な量子情報通信を実用化する上で避けて通れない量子インターフェースが完成しました。室温で動作する固体の人工結晶で実現したことにより、選択可能な波長範囲も広がり、小型で汎用的な波長変換器として利用できるため、今後の実用量子情報処理において不可欠な手法になると期待できます。

 本研究成果はNature Publishing Groupが発行している学術誌 Nature Communications 20111116日に掲載の予定です。

(論文) "Wide-band quantum interface for visible-to-telecommunication wavelength conversion"(可視光から通信波長帯へ波長変換する広帯域量子インターフェース)

誌名:Nature Communications (日本時間1116日午前1時解禁)

DOI number: 10.1038/ncomms1544

著者:R. Ikuta, Y. Kusaka, T. Kitano, H. Kato, T. Yamamoto, M. Koashi, N. Imoto


1.研究の背景

 インターネットなどを利用した現在の情報処理ネットワークの多くでは、ハードディスクや集積回路メモリーを使って0か1かのビット情報を保持し、メモリーに読み書きした情報をリンクするために光通信を利用しています。同様に、量子コンピューター・量子通信・量子暗号などいわゆる量子情報処理においても、量子ビット注6を保存できる量子メモリー間を光でリンクして量子情報をやりとりすることが重要となります。ところが、量子メモリーにアクセスして情報を読み書きできる光は可視域付近(波長にしておよそ400〜900nmであり、近赤外も含むが、以下可視域と呼ぶ)であるのに対し、光ファイバー通信においては 1.3μm近辺か1.5μm近辺(以下通信波長と呼ぶ)しか通常使われず、他の波長では著しく効率が低下してしまいます。この波長の不一致を整合させるために、量子情報を保持したまま光の波長変換を行なう研究が世界的に推進されてきました(図1)。そのような光波長変換器には、波長変換前後で量子情報を壊さないこと、様々な種類の量子メモリーに対応できるために広い波長領域で動作すること、の2点が重要です。これまでの研究において、通信波長から可視域への量子的広帯域波長変換、可視域から通信波長への量子的狭帯域波長変換、可視域から通信波長への非量子広帯域波長変換が実現されてきましたが、「可視域から通信波長への量子的広帯域波長変換」が最後の砦として残っていました。

 

説明: concept2-01

図1:光子の波長変換の概念図。量子情報を壊すことなく、可視域の光子は通信波長域に、通信波長域の光子は可視域に変換される。

 

2.今回の研究と成果

 本研究では、周期分極反転ニオブ酸リチウム(以下PPLNと呼ぶ)という特殊な人工結晶を用いて、光の差周波発生注7という現象を利用し、「可視域から通信波長への量子的広帯域波長変換」を実験的に実証しました(図2)。実験では、95%という高い忠実度注8を持つ可視域量子もつれ注9光子対を準備し、その一方の光子の波長を通信波長に変換しました。こうして得られた変換光子ともう一方の光子について忠実度を評価したところ75%という値が得られ、波長変換後も依然として高い量子もつれ状態を保持していることが分かりました(図3)。この結果は、本研究で作った波長変換器が、光子の持つ量子情報を壊さずに波長変換できることを意味しています。

光を用いた多くの量子情報処理系では、非常に弱い光である光子ひとつひとつが量子情報を持っています。一方、波長変換のために強いレーザー光を結晶に入射すると、可視域から通信波長域への波長変換とは別に、様々な波長変換が同時に起きてしまい、光子の量子状態を乱す雑音となります。このような雑音をできるだけ抑制し、光子信号対雑音比をいかに大きくできるかが鍵となります。波長変換素子として高結合効率かつ高効率変換が可能なPPLN結晶を用い、低雑音化のために注意深くレーザー光の波長選択や光学系の設計を行うことで今回のような結果を得ることができました。また、これまで当研究グループが10年余り蓄積してきた量子もつれ光子対発生技術と光量子情報処理の実験技術および理論の成熟も今回の成果には必須のものでした。

 

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図2:本研究の波長変換模式図。量子情報を持つ可視域の光子と強いレーザー光を人工結晶であるPPLNに入射すると、差周波発生によって、もとの光子が持っていた量子情報を受け継いだ通信波長域の光子が発生する。その後、レーザー光を適切に除去することで変換光のみが得られる。

 

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図3:実験で得られた、波長変換前後において光子が持つ量子情報を可視化した図。左が変換前(可視光)の量子情報で、右が変換後(通信波長)の量子情報を表す。四隅の成分がいずれも高いとその状態が量子もつれ状態であることが示唆される。光子の波長を変換した後も、高い量子もつれ状態を維持していることが確認された。

 

3.今後の発展

 今回実現した可視域から通信波長への量子的広帯域波長変換器は、量子メモリーと光通信を高効率で接続するために残された最後の課題でありました。今回の成果により、量子情報を読み書きするための波長変換ラインナップが完成したといえます。この技術によって、遠くから運ばれてきた光子の持つ量子情報を量子メモリーに書き込むことに加え、量子メモリーから読み出した量子情報を遠方まで運ぶことが可能になるなど、量子メモリーと光通信技術のフレキシブルな双方向接続が可能になったといえます。今後、量子メモリーと量子通信技術を組み合わせた様々な量子情報プロトコル(量子中継等)の実証実験が世界的にますます活発になることが期待され、本技術が量子情報処理ネットワーク実現に向けて大きく寄与していくものと思われます。

 

本成果は内閣府最先端研究開発支援プログラムFIRST「量子情報プロジェクト」、文科省新学術領域研究「量子サイバネティクス」、文科省新学術領域研究「半導体における動的相関電子系の光科学」、グローバルCOE「物質の量子機能解明と未来型機能材料創出」、および科学研究費補助金 若手研究()の支援を得て行われました。

 

本研究発表についての連絡先:

560-8531 大阪府豊中市待兼山町1-3

大阪大学大学院基礎工学研究科 物質創成専攻 物性物理工学領域

教授 井元 信之 (imoto@mp.es.osaka-u.ac.jp 電話&FAX: 06-6850-6445

 

113-8656 東京都文京区弥生2-11-16

東京大学大学院工学系研究科 光量子科学研究センター

教授 小芦 雅斗(koashi@qi.t.u-tokyo.ac.jp 電話&FAX: 03-5841-8397

 

報道担当:

560-8531 大阪府豊中市待兼山町1-3

大阪大学大学院基礎工学研究科庶務係(ki-syomu@office.osaka-u.ac.jp 電話:06-6850-2448)

 

133-8656 東京都文京区本郷7-3-1

東京大学大学院工学系研究科広報室(kouhou@pr.t.u-tokyo.ac.jp 電話:03-5841-1790)

 


用語解説

1)量子情報 

 現在の情報通信では「0」と「1」の二文字(ビットといいます)で計算や通信を行っていますが、量子情報は「0」と「1」の重ね合わせ状態も使います(量子ビットといいます:下記注6)。その著しい特徴としてはコピーができないことと、量子もつれ(下記注9)を持ち得ることの2点が挙げられます。

 

注2量子計算 

 量子もつれ状態にある量子ビットを使うと、莫大な数の事象や処理を現実的な数の量子ビットで表すことができます。これを利用して複雑な計算を並列処理するのが量子計算です。ある種の問題を解く際に、原理的に従来のコンピューターをはるかにしのぐ性能が得られます。特に公開鍵暗号を破る力があるとされています。

 

注3)量子暗号 

 「量子力学的信号は傷つけずに覗くことができない」という原理を用いて、送られた乱数表についた傷はすべて盗聴行為によるものと仮定し、乱数表を縮めて傷を直したものを秘密鍵暗号の鍵とする暗号方式。量子暗号は量子計算ができても破られません。

 

注4)量子情報処理

 量子力学の不思議な性質を利用して古典的にはできない情報処理を行うこと。不思議な性質とは、主に重ね合わせ状態と観測による不連続な状態変化(量子ジャンプ)、および、量子もつれを指します。量子計算、量子暗号、量子テレポーテーション(下記10)などが含まれます。

 

注5)量子中継

離れた中継点にある量子メモリー間に蓄積された量子もつれを利用し、量子テレポーテーションを行うことで長距離量子通信を可能にする量子通信手法。光子の直接送信では送信距離に対して指数関数的に受信効率が減少しますが、中継点間に蓄積された量子もつれを利用することでこの受信効率の減少を大幅に改善することができ、1000kmを超える量子情報通信が可能になると考えられています。

 

注6)量子ビット

 量子演算を行う情報の最小単位で、デジタル信号の1ビット(0または1)と異なり、0と1の重ね合わせ状態(例えば、0が30%で、1が70%という確率的な状態)をとり得る物理的実体により構成されます。光子の偏光の他、光子の位置や位相、電子の位置、電子スピン、核スピン、二準位原子・分子、超伝導電流の方向などで実現されます。

 

注7)差周波発生

 非線形光学効果を利用した波長変換技術のひとつ。非線形光学結晶に、ある光周波数(=波長の逆数に比例)を持つ信号光と、それより低い周波数のポンプ光を入力すると、エネルギー保存則によって、信号光とポンプ光の周波数の差と等しい周波数を持つ光が発生します。

 

注8)忠実度

ある量子状態と別の量子状態の近さを表す指標。同一の量子状態の場合には忠実度は1となり、全く異なる場合には0になります。本研究では完全な量子もつれ状態と実験で得た量子もつれ状態の忠実度を評価しました。忠実度が0.5を超えていれば量子もつれ状態といえます。

 

注9)量子もつれ

複数量子ビット間の量子力学的な相関で、エンタングルメント(entanglement)の和訳。例えば、量子もつれ状態にある2つの光子の場合、片方の状態が決まると、もう一方の状態もそれに応じて決まり、その関係は光子間の距離に依存しないといった特異な性質があります。量子情報処理において、情報伝達、高速(効率)演算、セキュリティなど、ほぼすべての応用においてリソースとしての重要な役割を果たしています。量子もつれを受け渡すことができるインターフェースは、どんな量子情報も入力から出力へと伝達できることが知られています。

 

注10)量子テレポーテーション 

 「量子状態を含めた物質の状態の情報」を古典的通信のみで送ること。ただし、準備として量子もつれを持つ量子ビット対を送信地点と受信地点に配布しておくことが必要です。量子もつれが理想に近いほど、より忠実にテレポーテーションが行えます。