ベンハムの独楽(コマ)をご存じだろうか?
次のような白黒模様のコマのことである。
図1
これをプリントアウトして切り抜き、
厚紙にでも貼って真ん中にコンパスなどで穴をあけ、
マッチ棒をさせばできあがり。
これを回転させてみよう。
あまり高速でなく中低速で回すのがコツだ。
すると・・・なんと色が付いて見える!
右向きに回すと内側が赤っぽく、
外側は青っぽく色づいて見える。
逆向きだと当然逆に見える。
このコマのことを知ったのは20年以上前(1980年頃)のことであるが、
あとに書く「数理科学」の記事によれば100年以上前から知られていたということだ。
20年前実際に作ったものは今でもすぐ試せるよう、
保管してある。
その頃まだ白黒テレビが残っていたと思うが、
番組で放映したら面白かっただろう。
今ならカラーテレビしかなく、
カラーテレビでは白黒画像もときに縁が色づいたりするので、
あまり説得力のある実験にならないと思うが。
さて、
これだけの話だったら「オリジナルに考えたことを書く」このエッセイの名が泣く。
当時さらに二つの実験をやってみた。
一つは、図柄を次の図2に変えたのだ。
図2
これでも同様な錯視が見られるだろうか?
答はyesだった。
つまり図柄のトポロジー的特徴を変えなければ、
細かい比率はどうでも良いようだ。
もう一つは、
白色光(つまり太陽光や電灯)のもとではなく、
単色光のもとで観察してみたのだ。
当時実験室にナトリウムランプというのがあった。
これは今では中学か高校の物理教室あたりにしか残っていないのではないだろうか。
トンネルの中で山吹色がかった黄色いランプをよく見かけるが、
あれである。
あるいはナトリウム原子のレーザートラッピング実験に見られる、
あの色である、
と言ってもそんな実験を見る人口は少ないだろうからあまり意味がないが。
ともかくナトリウムのD線(厳密には数本のスペクトル微細構造があるが、
視覚的には単色である)のもとでもいろんな色が見えるだろうか?
答はまたもyesだった。
つまり物理的に分光された結果起きた現象ではない。
まあこれは当たり前かもしれない。
どこにもプリズムやグレーティングなどの分光エレメントはないのだから。
とにかく網膜に何種類もある人間の色覚細胞すべてが(白黒ならぬ)黄色黒色模様の動きに反応し、
その差が赤や青の色の知覚として起きているに違いない。
それにしてもこの錯視が起こる理由は分かっているのだろうか?
はじめ誰でも考えつくと思うが、
色による目の応答時間の差異が原因だと思った。
しかし、
そうではなくもっと複雑な現象だ、
と考え直した。
というのは、
次のようなコマを作ってみたのだ。
図3
要するに縞模様を廃して太い帯にしてしまったのだ。
これでも色は見えるだろうか?
答はyesだったが・・・
太くした帯の真ん中はそれほどでもなく、
帯の縁の部分で良く見えたのだ。
つまり白と黒の境界の対比が重要のようだ。
単に応答時間の差異だったら、
こんなに模様依存性はないはずだ。
おそらく、
白と黒の変化の激しいところではそれを和らげるために目の方で補正しており、
実際の模様においてそれが急に消えても目の補正が若干残るのでそれが残像となる。
残像時間の色依存性・・・これなら考えられるかもしれない。
しかしその残像は網膜で起こっているのか? それとももっと脳に近い方で起こっているのか?
知覚工学関係の人に聞いてみたことがあるが、
このコマのことは知っていたが、
原因については明確には言わなかった。
最近「数理科学」7月号(2002年)の81ページにこのコマのことが出ていた。
実はこの「数理科学」7月号、
私の書いた別記事が載っているので手にしているのだが、
たまたまベンハムの独楽のことが載っていたので、
懐かしく思ってこのエッセイを書き出したのだ。
それはともかく、
最近の研究では網膜レベルの話ではなく、
視覚信号に変わった後の処理によるものであるらしい。
そこに紹介されていたのは面白い実験なのであるが、
次の図4と図5を左目と右目に別々に見るようにしてもこの錯視が見えるという実験である。
図4 図5
これは片目ずつ見ると回転方向に対して対象な図形なので錯視は起こらない。
しかし両目で合成すると見えるということだ。
すなわち網膜レベルの錯視でないことは明らかというわけだ。
恐らく錯視の大部分はそうなのではないだろうか。
[最終稿:2002年6月25日]
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